
「あずさ」・「あさま」と181系はいち早く置き換えられてしまったので、私がかろうじて押さえられたのは「とき(朱鷺)」のみであった。文字マークの中央に小さく「朱鷺」の文字が光っていた。それが渋かった。この写真は一眼レフを持ち始めの頃で、叔父のPENTAX SVを借りて撮ったものだった。「とき(朱鷺)」といえば上越国境付近で撮った列車が有名であったが、せいぜい水上が限界であった私にとっては、この新町〜倉賀野間での記録が自己ベストであった。そうだ、このあとも181系はかなりの間「とき(朱鷺)」として生きながらえたにもかかわらず、このカットで押さえたという安堵感から、私はゴハチに夢中となり、結局お手軽カットしか残っていない。後期のあの気の抜けた絵マークも、文字マークに慣れ親しんだ私にとっては、特急の威厳を欠いた陳腐なものにしかうつらなかった。そして私は181系を追いかけることをやめた。

12連の特急が脇を駆け抜けていくときの緊張感を今も体が覚えている。時折復活される短編成のリバイバル特急に、何か気の抜けた感覚を覚えて足が向かないのは、新幹線が引き継いでいった都市間をむすぶ特急としての、「威厳」とでも言うべき迫力を失ってしまったからなのかも知れない。恐らくこの撮影で私はその「威厳」に圧倒され、できあがった写真にその迫力をだぶらせたがために、このカットに満足し続けたのだと思う。今言えることは181系は2度と撮れないと言うことだけだ。
(S52-3-31撮)
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