「DF50秘境号」

 

 

 「DF50のさよなら列車らしいですよ。」そう言われて、居てもたってもいられず、私は四国へ向かうことにした。吾桑で石灰石列車の俯瞰に憧れ、かなわぬまま運転が終了してしまった自分にとって、とにかくDF50を一度ちゃんと撮らないことには、話が始まらなかった。

 

 

 当時お金なんてないから、旅館なんてもってのほか。多度津で朝を待っていると、マニ付きのDF50の貨物が現れた。随分停車していた気がする、余裕で撮れた。先日、「私もここにいたんですよ。」と、札幌で今井氏と小樽ビールを飲みながら話に華が咲いた。20年も前に氏と三脚を並べていたわけで、縁とは不思議なものであるなと思ってしまう。写真を見返して思うのは、「カラーでも撮っておくべきだった・・・。」ということである。

 

 

 

 さらに構内外れに留置してある機関車を撮りに行った。「全機ライトが点いていれば渋いものを・・・。」すでにDF50は休車中で、切り抜きナンバーが剥がされているものもあった。「もっと早くから撮影できれば・・・。」そう思いはするものの、当時四国は私にとってあまりにも遠い存在であった。

 

 

 朝、1号機を先頭にした「秘境号」は現れた。マークが端に付いており、居合わせたファンから落胆の声が聞かれた。かくいう私も当時は「こんなものを撮りに来たんじゃない!」と憤慨した一人。でものちのさよなら列車を見ると、どうもDF50にはこちらの方が合うようで、今は納得している。(げんきんなものだ。)

 

 

 折り返しは大歩危〜小歩危の名撮影地を俯瞰しようと言うことになった。見事におろせるポイントをM君と見つけ、二人で「これ以上のカットはないでしょう。\(^_^)/」と健闘を称え合った日々が懐かしい。私はケツの客車が鉄橋に入ってしまうことを気にして早切りしたが、M君の写真は絶妙なタイミングで押さえられていて、ちょっとやれれたと感じた。いつの日か、多度津に保管されている1号機が本線に出ることがあれば、もう一度この場所で雪辱戦を行いたいと密かに思っているのであるが、最近は手前の木もだいぶ成長してしまい。撮影は困難なようである。

 当時、非電化王国であった四国。宇高連絡船で渡ったこともなつかしい。今では瀬戸大橋が出来て、そのアクセスの気楽さにはただただ驚くばかりである。反面、あの連絡船で渡る四国への思いが忘れられない。船内の甘い揚げが入ったキツネうどん。帰りの船内で見上げた、海上から見る打ち上げ花火。どれもが私の四国のイメージとして強く焼き付いている。いつの日か「連絡船で渡る四国。DF50復活撮影ツアー」やってみたいものである。

 

 

(1983.8.19〜20撮影・2003年8月記)

 

 

 

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