4路上生活
次の日から犬は来なくなってしまった。私はひどく反省して彼を随分探したが全く見つからない。私としては自分の気持ちを素直に言葉に表したつもりだったのだが、私の心の中に何処かしら犬の弱さを軽蔑するような気持ちがあったのかもしれない。犬にしてみれば会社を辞めて心も体もすっかり疲れ果ててしまい、うつ状態の中で一つの逃避(戻ることのできない)の道を選んだわけだからそれを否定してしまっては彼の心は救われないではないか。なんということをしてしまったのだろう。
それに加えて、私が犬を必死に探し出すようになったのは、テレビ番組で彼の母親が息子を探しているのを見たということがある。犬の話で少し聞いたのだが、彼は母子家庭であった。母親はまだ定年前でしっかり働いていたので、家をでて働いている息子のことは連絡が途絶えて初めておかしいと気づいたのだという。母親にしてみれば息子が独立した後の自分の空虚感を克服するために敢えて普段から連絡はしなかったのだそうで、久しぶりに連絡をしてみると電話が不通になっていて、それで息子の家に行ってみると誰もおらず、会社も彼を解雇したと聞き、事の次第を理解したのである。
八方手を尽くして探したが結局息子の居所はわからず、それでテレビ番組に出演したと言うわけだ。彼女が必死で息子を探していた時息子はすでに犬になっていて、そこら辺をうろついてゴミ箱をあさっていたわけだから彼女の悲嘆の感情と比べてみれば息子の親不孝は際立ってくるわけだが息子は息子で悩みぬいた果ての選択であったわけで、人の心というものはそんなものなのかもしれない。
私はテレビでたまたまその番組を見て、すかさずビデオテープに録画した。犬の親に連絡をしようと思ったがまさか「あなたの息子は犬になりまして今何処にいるかわかりません」などとはいえないし、とにかく犬を探して事情を話さなければならないと思うのである。
街中いろいろ探し回ったが一向に見つからず半月ほど経った頃、私はふと冷静になって保健所に行くことにした。もしかしたらそこにいるかもしれない。保健所では犬猫はすぐに処分するのでもし犬が保健所に捕まるようなことになればおしまいなのだろうが、とりあえず行ってみることにした。保健所にいくと案の定わかるわけはなかった・・・。
「犬ですか?お話になったような犬はそれこそ山のように、と言うのは少し大袈裟ですがかなりいままでいたし、何しろ最近は捨て犬が本当に多くなっているし、犬達のけんかも絶えないので住民からもかなり苦情が来ているんですよ」
保健所の職員は犬や猫を一時的に収容している場所に案内してくれたが、やはりいなかった。
「けんかが頻繁にあったと聞きましたが、この犬達は?」
「ええ、縄張り争いじゃないかと思うんですけど、真昼間から大勢でやってたもので、住民から恐ろしいからどうにかしてくれと通報が来ましてね。殆ど捕まえましたわ。何匹かは逃してしまいましたが」
結局何にも成果のないまま保健所を後にした。今後犬の捜査はどんな風にしたら良いのであろうか?チラシでも配って、といっても写真も何もありはしないし、第一犬からしてみれば捕まえられるということになる。テレビ局に電話して思い切って事情を話し大々的に操作した方がいいのではないだろうか?しかしテレビ局が信じるわけがないだろう。母親も変わり果てた子供の姿をみたいかどうかもわからない。結局このまま地道に探すしかないのか。全く余計なことをしてしまった。
いろいろなことを考えながら家に帰ると、なんと犬がいた。又かなり怪我をしていてやせ細っている。がとにかく姿をあらわしてくれたことで、私はホッとした。
「どこにいっていたんだ?随分と心配したぞ。お前に謝らなければならない。すまなかった余計なことを言って。怪我をしているな。いや、とにかくよかった。お前に見せたいものもあるし、とにかく家に入ってくれ」
「今日はお前にお別れをいいに来たんだ。ちょっと来にくかったんだが、一応な」
「とにかく上がれ。随分とやせ細ったなあ。飯を作るよ」
「ああ」
体はいたるところ咬み傷だらけだった。何故そんなことになったのか?とにかく犬を家に入れ、傷の手当てをし、温かいミルクを渡した。傷の手当ての時も犬は素直にしていて、出されたホットミルクを二皿飲み干した。私は焼肉をしようとしたが犬は「いらない」といった。私はそのあとどうしていいかわからず、じっと黙っていた。その雰囲気はちょっと我慢できないものがあったが、ふと思いついて私はタバコを一本渡した。
犬はそれを口にくわえ、静かに吸った。
「ここに来なくなったのはお前に怒っているとか、そんな理由じゃもちろんないんだ。お前に言われてから、いろいろと考えた。いろいろと考えて、中途半端はやめて、犬の生活をしよう、自分は犬になったんだから、もっと犬らしくしようと思った」
「それで街の中で自分で暮らしていこうと思って。一匹狼でやったんだがそれじゃやっぱり生きていけないことがわかった。人にしろ何にしろ、とにかく生きていくには一人と言うのは無理なんだという事もわかったよ。現実問題縄張り争いはひどくてみな必要以上に殺気立っていてちょっとでも縄張りに入り込むと攻撃してくるんだ。それで群れに入ったのさ」
「群れの中に?」
「そうさ。俺にしてみれば大変な進歩さ。一人で生きていくことをやめたというのも、一人で生きていけないという事がわかったというのも、実際に群れの中に入ったというのもな。入った群れは、この前話しただろう、繁華街の、そこの群れに入った」
「繁華街の群れに?よく入れたなあ、でも危険だったろう?」
「ああ、しかし、群れを大きくできるのは繁華街の群れくらいでな。それに抗争が続いていたから兵隊が必要だったみたいで許してもらえた。他の群れはあまりいい顔はしなかったよ。何しろ俺はそんなに体が大きいわけじゃないし頼りなく見えたんだろう。俺は俺でいろいろなボス達と会ったが俺を受け入れてくれ、話を聞いてくれる奴の下で働きたいと思っていたから、俺をそれなりに買ってくれるボスにつきたかった。その意味で繁華街のボスは一番理解してくれたよ」
「繁華街のボス・・・?保健所にいたやつか?」
「保健所?ああ、そのことも話すさ、とりあえずボスは俺の街中のネットワークを非常に買ってくれていた。俺は街中の群れの詳しい情報と飼育犬のネットワークを話すとえらく喜んでいた」
「お前の今までの行動は大いに役に立ったわけだ」
「その通りだ。俺は逃げ足は速いから斥候専門で、敵がどのように動いているのかいつ攻撃をするのかなんかを事細かに調べて報告していた。そのおかげで随分と戦いが有利に進んだ。俺の情報のおかげで一つの群れを完膚なきまで叩きのめしたこともある。俺はその時初めて犬の社会に身を投じて生きがいを感じた。人の社会では闘争というのは否定されつつある。現実には人間の社会は生きていくための闘争すらも歪曲化されつつあることもわかった。ここにあるのは生きるための闘争と知恵だ。動物の社会は闘争と生存は不可分なわけだから闘争のための知恵は同時に生きていくための開放感とつながっているのさ。これも、もちろん人間の考え方だがな。でもそれでいいと思う。おれは人間だけど、犬なんだから。自分のフィールドが限りなく広いことも解ったよ」
「そのうち繁華街の闘争も徐々にこちらが優勢であることがわかって、半月で街は安定に向かいつつあった」
「なるほど、しかしなんでそんなに傷だらけなんだ?」
「続きはあるよ。安定したと同時に群れの中での矛盾が一気に噴出してきたんだ。もともと俺のいる群れは、20頭近くという、およそ普通の群れでは考えられない規模だったから縄張りを分割しなければならなかったんだが、ボスは独占欲が強くてそれをしなかった。またボスの群れから離れて群れを作ろうと言う奴も、ボスに打ち勝って縄張りを分割できるだけの統率力を持った犬もいなかった。それだけ食いつめものが集まっていたということさ」
「なるほど」
「しかし矛盾は広がって、とうとうナンバー2がボスに闘争を仕掛けた。しかしそいつはボスよりももっと馬鹿な奴でボスの追い出しだけを画策した。必然的に集団は2つに分かれて対決を始めたんだ」
「なるほど。それでお前はどちらの側に?」
「俺はボスの側についた。もともとボスは俺の才能を買っていて俺を絶対に放出しようとしなかったし。俺はやんわりとボスに打開策として群れと縄張りを分割することを話してみたが、そこら辺はボスはバカだから全く取り合おうとしなかった。しょうがなく俺もつき従ったのさ。そうして、公園で群れ同士が対決をしていたところ住民が保健所に通報して、後はお前が聞いた通りさ。俺は幸いにして生き延びたが他はあらかた捕まってしまった」
「そうか・・・・・・。なんだか街に住むことを勧めて、本当に申し訳ないことをしたなあ」
「いやいや、俺も群れというものの中で初めて成功したような気がするし、とにかくいろいろと勉強出来てよかった。お前には感謝しているよ。お前から言われなかったら俺はずっと中途半端に生きていったと思う」
マンション前に来ていたときは、傷もあって全く元気がなかった犬だが、話しをしていくにつれて徐々に元気を取り戻したようだった。私はホッとした。
「しかし、ボスも捕まってしまったんだな・・・。犬の生活なんてあっけないもんだ」
「2,3日中に安楽死されるそうだ」
「・・・・・・」
「これから、どうするんだ?」
「それをお前に言いにきた。やっぱりなんだかんだと世話になったし、一言アイサツには来ないといけないと思ったからな」
「やっぱり街は生きにくい。今回はたまたま生き残ったけれど、今後どうなるかわからない。それに、正直この街では俺は派手に動きすぎたんで他の群れに入れるとは思えん」
「どこか、田舎にいこうと思う」
「・・・あのな、佐々木よ、実はお前に見てもらいたいもんがある」
「なんだ?」
お袋さんの話を何処で話そうかと私は迷っていたが、今と思い、私は録画テープを見せた。
犬はビデオを見て驚いていた。今まで母親のことなどなった苦考えていなかったのではないだろうか。自分のことで精一杯で。しかし、テレビの中で、自分のことを心配し、必死で訴えている母親の姿を見て、彼は我にかえり、そして次第にうつむいて母親の声だけを聞き、大粒の涙を流した。
犬はうつむいて長い間泣いていた。
「母さんの事をすっかり忘れていた。俺は勝手に自分ひとりだなんて思っていたけど・・・。母さんには会社をクビになったとき一度電話したんだ。そうしたら、頑張って仕事しなさいって言って・・・。その言葉がひどくきつく聞こえた・・・。その後は全く俺は自分の世界に入っていったから・・・。そうか、母さんは心配しているんだな・・・」
「たまたまテレビで見たんだけれど、どうしていいかわからなくてな」
「そうか・・・いや、ありがとう。一度・・・故郷に戻ろう」
「しかし、犬となった今どうするんだ?」
「わからん。しかし、一度帰ってみる」
「そうか、じゃあ車で送るよ」
「いやいや、それはいい」
「なんでだ?お前の地元遠いだろう?送るよ」
「いや、それではだめだ。自分の足で行かないと」
「なんで・・・」
「とにかく、それはいいよ」
「・・・・・・」
「わかった。自分の足の方が、いいかもしれんな。しかし、食料はもっていけ。せん別だ」
「ああ、そうだな。それはもらっていくよ」
「あしでいけばどれくらいかかる?」
「わからん。しかしなんとかなるさ。お前が考えているほど危険でもない。道もわかっているし、食料はお前がくれる何も心配はないだろう?」
「そうだな。お前は今まで生きてきているわけだし、別に心配はいらないな」
「大丈夫だよ」
こうして犬は故郷にかえることになった。