〜序章〜

始めに
 日本は島国であり外国より侵略や日本人が海を渡って戦を行ったことを御存じの方はどれだけいるであろうか?

 『元冦』や『秀吉朝鮮出兵』などはみな思い付く範疇の事件かも知れない。

 しかし、実際は日本人は幾度も朝鮮半島や中国大陸に海を越えて劫略・略奪をくり返した。それを『倭冦』と呼ぶ。

 日本人が財を求めて命をかけて海を越えた海賊達の物語である。

『倭冦』とは
 日本人が朝鮮半島や中国大陸に渡り謀略を働いたものは大概この倭冦の内に入れてかまわないであろう。つまり朝鮮側から見ると秀吉の『朝鮮出兵』も倭冦にあたるのである。

 先に「志々伎神社」において述べた『神功皇后遠征記』などもこの倭冦と言えるであろう。

 この倭冦に当たる主な一族としては対馬の宗一族や五島列島を根拠とした五島氏、そして九州西海岸を走り回っていた松浦氏などの他西国の海賊集団が主であったが朝鮮・中国・ヨーロッパ人なども含めて倭冦と言っている場合も多い。

 瀬戸内村上水軍の倭冦との関係については主に記述されているのが江戸時代以降に作られた物語が多いらしく、若者と朝鮮の女人の恋物語などまことしやかに掛れているが、中国・朝鮮側の倭冦に関する記述が村上水軍に関しては余りにも少ないため架空の物語として流して良いと思われる。

『倭冦』の形態
 倭冦のイメージとして定着している「裸足・半裸で刀を担いだ荒くれ男」というイメージは元禄6年(1693年)刊行された『異称日本伝』という書物より引用されたもので、明治・大正期に歴史教科書などに引用されたものからきている(左図)。

 この『倭冦』像は明で書かれた書物である『学府全編』という書物より模写されたものでありかなり倭冦について誇張して掛れている節がある。

 現在、比較的正確に倭冦の様子を描いているとされるものは『明仇十洲台湾奏凱図(倭冦図巻)』が結一といわれている。

 この様子からすると船は7人から10人における平底の網代らしき帆をかかげた漁船のような格好をしており着物を見にまとい弓・長槍・刀を帯同している。またこの『倭冦図巻』には上陸・略奪・放火・戦闘など事細かな描写により倭冦の様子を伝えているのだ。

『前期倭冦』と『後期倭冦』
 主に倭冦について語られる時、14世紀〜15世紀の朝鮮半島において行われたものを『前期倭冦』、16世紀に中国において行われたものを『後期倭冦』として記述されるものが多い。

 厳密にこのような分別の仕方をするのはいかがなものかとも思うが、ここでは簡潔にまとめるためこの二つに大別して語っていきたいと思う。

〜 前期倭冦(一)〜

〜 前期倭冦(ニ)〜

〜 後期倭冦(一)〜

〜 後期倭冦(ニ)〜

〜 後期倭冦(三)〜

〜 後期倭冦(四)〜


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