Welcome to ZARD world!
ZARDワールドへようこそ!
このページは、これからZARDを聴いてみたい。「負けないで」や他の曲を少し聴いたことはあるけれど、もっとZARDを知りたいという方のご参考用に作ったものです。ただ、ポイントとなるところはやや詳しく書いたので、ファンの方も参考にしていただけるかもしれません。「これから」という方には少し詳しすぎる個所もあると思いますが、適当に読み飛ばしてください。

2007年5月27日、ZARDの中心、坂井泉水(さかい いずみ)さんは音楽に捧げた40年の生涯を閉じられました。しかし、その包み込むように優しいクリスタルボイス、癒しと励ましに溢れた歌詞は、今でも多くの人々を魅了し続けています。

しかし、輝かしい実績を持つこのアーティストの内側には、妥協せずひたむきに音楽制作に打ちこみ、「過去の栄光」に安住することなく常に新たなステップを目指し続けた、ストイックで志の高いひとりの女性が居たのです。一方、その女性(ひと)は(これまで表だって伝えられることは少なかったのですが)ビッグになっても驕ることなく周りの人を気遣う、お茶目で愛すべき女性でもありました。そうした「剛(つよ)く厳しい」側面と、「可愛く優しい」側面を併せ持つ
人間「坂井泉水」の魅力が関係者の証言で明かされ、真に偉大な、希有のアーティストとして一層敬慕されるようになりました。

存命中はもちろん、今も、ライブの終わりには「坂井さん、ありがとう!」の声で会場が満たされます。静かに一礼する者もいます。或るいはそっと心の中で、坂井さんへの感謝の思いを伝える者もいるでしょう。
大ヒットの陰にある坂井さんの徹底した音楽制作への「こだわり」と注がれた膨大な努力を、病魔と闘い続けた闘志を、そしてZARDの音楽が与えてくれたものの大きさを、ファンは知っているのです。


是非ZARDを聴いてください。ZARD、即ち「負けないで」ではないことがきっとすぐおわかりになるでしょう。確かに「負けないで」は国民的応援歌と言われる偉大な歌ですが、それ以外にも名曲、心を打つ曲が数多くあります。ZARDを知れば知るほど、その世界の豊かさ、奥深さに驚かれるに違いありません。そして坂井さんの魂が宿るZARDの音楽はきっとあなたの人生を一層豊かにしてくれるでしょう。
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ZARDとは?
坂井泉水さんを中心とする「プロジェクト」です。坂井さんは全曲のボーカルとほとんど全ての作詞を担当され、楽器やコーラス、作曲、編曲は曲ごとに主としてBeingグループに属するか関連のあるミュージシャンが行っています。ですから厳密には「ZARD イコール 坂井泉水さん」というわけではありません。

デビューまで
1967年2月6日 神奈川県平塚市に生まれる  本名 蒲池幸子(かまち さちこ)
 血液型はA型
6才からピアノを始める。
★ 学生時代 ★
秦野市立西小学校 演劇クラブ ・ 集会委員、  小学校4年の時に秦野市へ転居
秦野市立西中学校 陸上部 (400mリレー県大会出場)  クラシックギタークラブ
神奈川県立伊志田高校 硬式テニス部  文化祭でミス伊志田に

 ヴォーカリストへの夢 
「短い時間で自分を表現するのがすごく苦手」で、「伝えたいことがいーっぱいであふれているぐらいなのに、言葉になるときはそのいっぱいが半分ぐらいになっちゃって。」という引っ込み思案の子どもだった坂井さん。中学の終わり頃、洋楽に興味を持ち始め、クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」やブロンディーの「Call me」などを聴き、そんな自分が音楽で変われるかもしれないと思えるようになった。高校時代、渋谷公会堂でシャーデーのコンサートを見て、クラシックのような“静”のヴォーカルに感動。漠然とだが、
私も“静”のヴォーカリストになれればいいな、と。

(当時の音楽雑誌等から再構成しました。)

松蔭女子短期大学を卒業

★ OL時代 ★
第一不動産(株)総務部総務課で 約2年間

★ モデル時代 ★
'89・90 東映カラオケクイーン
同社カラオケビデオ出演
 「ONE NIGHT IN HEAVEN」 「23才」 「未練 ~STILL~」 「CARIBBEAN」 「手をつないでいて」
'90 日本エアシステムCFキャンペーンガール(JASカーゴ)
'90 日清カップヌードルレーシングチーム・レースクイーン  岡本夏生らと活躍
  
▽ テレビ出演  ▽ 
 「春燈」(ドラマ) '89年1月2日放送
 「クイズ年の差なんて!」 '89年6月7日放送
 「とんねるずのみなさんのおかげです」 '89年8月3日放送 '89年10月19日放送
 「オールナイトフジ」  (詳細不明)

▽ 写真集・ビデオ ▽ 
 '90 写真集「NOCTURNE」
 '90 ビデオ「SEXY SHOOTING」、ビデオ「BODY WORKS」

デビューとブレーク
1990年8月、BBクイーンズのコーラスメンバーのオーディションを受けますが選に漏れてしまいます。しかし、恐らくこの時プロデューサーの目に止まったのでしょう、その後テレビ局からドラマ「結婚の理想と現実」の主題歌の歌い手を求められたプロデューサーは坂井さんを提案し、テレビ局側の同意を得ます。そして、ZARDが結成され、「結婚の理想と現実」の主題歌、1st シングル「Good-bye My Loneliness」が1991年2月10日に発売されました。なお、ZARDという言葉にとくに意味はありません。

その約2年後、1993年1月27日に発売された6thシングル「負けないで」で大ブレーク、その後もヒットを連発し90年代を代表るすアーティストになりました(90年代女性ボーカルのシングル売上はドリカム、安室奈美恵を抜いてダントツの1位です。)。

坂井さんが高い目標(夢)に向かって日々努力される姿勢、志の高さを窺わせる言葉が残っています。
 目標  
(音楽に関しては)
目標がすごく先のほうにあるから、そういう意味ではやりがいがあります。現状に満足するのは好きじゃないし、・・・いつも好奇心と向上心をもっていたい。

・・・「こうなりたい」っていうものを持ち続けることが大切ですよね。そうすれば、普段の生活や行動がそれに近づくためのものになっていくんです。私自身がそうだったから、これははっきり断言できます。あきらめないで、なりたいものを常に頭に描いていることが大事なんです。
(PATi PATi 1992年7月号)

この約半年後に「負けないで」が発売されることになるのですが、その大ブレークも坂井さんにとっては通過点に過ぎなかったでしょう。なお、 「好奇心」と「向上心」は坂井さんを知る多くの人を驚かすほど強かったようです。

作品 (市販品に限定)  ☆は逝去後の発売
▽ CDシングル ▽  42作 ☆ 3作 計45作
▽ CDアルバム ▽  17作 ☆ 3作 計20作 (下記にタイトル一覧)

▽ DVD ▽   6作
 LIVE DVD 『What a beautiful moment』(2004年ライブの記録)
 15周年DVD 「ZARD Le Portfolio 1991-2006」(PV集)
 ☆What a beautiful memory 2007(2007年追悼ライブの記録)
 ☆What a beautiful memory 2008(2008年追悼ライブの記録)
 ☆What a beautiful memory 2009(2009年追悼ライブの記録)
 ☆What a beautiful memory ~forever you~(2011年追悼ライブの記録)

※ 各CD、DVDの収録曲等はZARDオフィシャル・サイトをご覧ください(サイトへのリンクは下記「主な参考情報」に記載)

▽ 詞集  ▽   4作
 「揺れる想い」
 「負けないで」
 「マイフレンド」
 「promised you」

▽ 写真集 ▽
 ZARD 10th Anniversary Book 「 10゜ 〜decimo〜」(コメント付きイタリア旅行写真集) 
 15th Anniversary 写真集「Le Portfolio -ル・ポルトフォリオ-」
 ☆第1集「揺れる想い」
 ☆第2集「負けないで」
 ☆第3集「きっと忘れない」
 ☆第4集「あの微笑みを忘れないで」

CDアルバム タイトル一覧
オリジナルアルバム ベストアルバム等
1st Good-bye My Loneliness ZARD BLEND~SUN & STONE~         
2nd もう探さない ZARD BEST The Single Collection~軌跡~     
3rd HOLD ME             ZARD BEST ~Request Memorial~              
4th 揺れる想い           ZARD Cruising & Live ~限定盤ライヴCD~
5th OH MY LOVE         ZARD BLEND ll~LEAF & SNOW~
6th forever you          Golden Best ~15th Anniversary~
7th TODAY IS ANOTHER DAY 
8th 永遠               ☆ Soffio di vento ~ Best of IZUMI SAKAI Selection ~
9th 時間の翼 ☆ Brezza di mare ~ dedicated to IZUMI SAKAI ~
10th 止まっていた時計が今動き出した ☆ ZARD Request Best ~beautiful memory~
11th 君とのDistance  
※ 9thアルバム「時間(とき)の翼」は新品在庫がなく、中古市場でもほとんど出回らないので、見つけたら迷わずゲットしましょう。

ライブ
1991年11月3日 東海大学沼津校 学園祭ライブ出演   
1992年10月、大阪、名古屋、東京で単独ライブが行われる予定だったが直前に中止
1999年8月31日 ベスト盤購入者から抽選で600名(1700倍の競争率)を招待した「ぱしふぃっくびいなす」号船上でのライブ。「ZARD Cruising & Live ~限定盤ライヴCD~」に収録
2003年3月27日 「Hills パン工場」のサーズデイライブに飛び入りGUEST出演
2004年 ライブ「What a beautiful moment Tour」(9会場、11公演)  
 LIVE DVD「『What a beautiful moment」に収録

主な記録
シングルトータルセールス 1751.5万枚 女性ボーカル2位
アルバムトータルセールス 1906.4万枚 女性ボーカル5位
トータルセールス 3657.9万枚 歴代8位
アルバム連続ミリオン獲得数 9作 歴代1位
シングルTOP10獲得数 40作 歴代2位/女性ボーカル1位
逝去直後(2007年7月23日)オリコン調べ 「日経エンタ」2007年9月号特別付録より
※順位等はその後変動があるかもしれません。

★1990年代CDシングル売上枚数 女性ボーカル1位
★1994年 「負けないで」が春の甲子園(選抜高校野球)入場行進曲に採用される
★1996年 「負けないで」が高校音楽の教科書に掲載される
★2000年 「Get U're dream」がシドニー・オリンピックのNHKテーマ曲に採用される
★日本ゴールドディスク大賞受賞歴多数

★2007年 坂井泉水さん、「日本レコード大賞特別功労賞」受賞
★2007年 NHK紅白出場(NHK大阪ホールで開催されたコンサートの一部が生中継された)

主な参考情報
上記「作品」に記載したもののほか、現在比較的容易に入手可能な資料を挙げておきます。
 ・オフィシャルブック「きっと忘れない」
 ・「Flash back ZARD Memories」 
 ・ファンクラブ会報「WEZARD」(年4回発行。ただし会員限定で会費は年2000円です。)
  会報は2011年6月をもって最終となり、ファンクラブ組織はなくなりました。
  現在はWEZARDのWEB SITEとメールマガジンが運営されています。
 ・「ZARD―思い出の坂井泉水」

ZARDオフィシャル・サイト
 ZARDオフィシャル・サイト

CD、本、オフィシャル・グッズの通販サイト
 Musing(CD
 Musing(本、グッズ)
 GIZA GIZA.com
 Music Freak magazine

このほか、WEBを検索すれば様々なファン・サイトに情報を見いだせるでしょう。
また、ウィキペディアには豊富な情報があります。詳細すぎてスタート時点で「読む」にはあまり向いていませんが、事典的に何か調べたい時には便利です。

ZARDの魅力(1) 声
ZARDの楽曲はすべて坂井さんが歌っています。坂井さんの声はその爽やかさ、透明感から、よくクリスタルボイスと言われますが、決して冷たくなく、凛とした響きの中にも包み込むような暖かい優しさがあります。聴けばすぐ「ZARDだ!」とわかる、天性の声です。

CDではわかりにくいのですが、坂井さんは非常に声が大きく、よく通ります(メーターの針が振り切れてしまうこともあったそうです。)。ライブで生声を聴いたファンは歌の圧倒的な表現力とともに声量の豊かさ、迫力に驚かされました。

しかし、基本的なボーカルスタイルは「熱唱型」とは反対で、押しつけがましさのない都会的な品のあるスタイルです。アクが無く、心地よいので、聴いていて疲れません。この抑制されたボーカルスタイルは、坂井さんが何よりも「伝えること」を重視したからだと私は考えています。

 歌うこと、伝えること 
感情を込めて歌ったものが、必ずしも聴く側に一番伝わるとは限りません。
(オリコン・ウィークリー1992年8月3日号)

ZARDの魅力(2) 歌詞
初期のわずかの曲を除き、ZARDの楽曲は全て坂井さんの作詞です(坂井さんは自らの歌詞を詩ではなく詞であると言われているので、ここでも詞という言葉を用います。)。

 詞と音楽への思い 
「私はいつも本当に言葉を、詞を大切にしてきました。音楽でそれが伝わればいいなと願っています。」
(2004年のライブでの坂井さんのMC)

詞をとても大切にされた坂井さん。聴く人に一番伝わる言葉は何かを最後まで考え続け、「負けないで」の歌詞をレコーディング時に「最後まであきらめないで」から「最後まで走りぬけて」に変更したことは有名です。

人の心を打つ歌詞は幅広い年齢層の共感を呼び、人気を支える大きな要素となっています。坂井さんの詞と声にどれだけ多くの人が励まされ、癒されてきたことでしょう。おかげで死なずに済んだ、などと言うファンの声もそれほど珍しいことではありません。
どうか面倒がらずに歌詞カードを見ながら聴いてみてください。

なお、坂井さんは他アーティスト(WANDS、 FIELD OF VIEW、 DEEN、 テレサ・テンさん、森進一さん)への歌詞提供も手がけておられ、その一部はセルフ・カバーされています。

ZARDの魅力(3) ビジュアル
抜群のルックスも魅力のひとつです。ここではご紹介できませんが、写真や映像をご覧いただく方が早いですね(笑)。

ただ、坂井さんの身近で世話をされた野口麻由さんはこう言われています。
 清楚できれいという一般の人が懐くイメージはもちろんその通りですが、「とても可愛らしくて優しい方だというのが一番の印象です」。「普段の素顔はとても面白い方」で、「ふとしたしぐさが可愛らしい」方なんです。
(テレビ朝日、一周忌特番「坂井泉水の永遠の今」)

また、映像担当スタッフの高野昭彦さんによると、
 「彼女のビジュアルの魅力は、その美しさというよりも、ちょっとした表情や振る舞いの中にに見せる切なさだったり儚さだったりする。それが自然体であればあるほど、女性としての内面の可愛らしさとなって、人を惹きつけるんだと思います。」
(きっと忘れない)

坂井さんを単に「美しく」撮るだけなら難いしことではないでしょう。しかし坂井さんの本当の良さは内面的な可愛らしさであり、それは「自然体」からにじみ出るものだと。撮影スタッフが追求したのはそんな映像でした。

だから、坂井さんには、華やかなステージ衣装のような写真はありません。アイドルのような媚びた写真もなければ、ブロマイドのような写真も少ないでしょう。スタジオでも部屋着のようなスタイルを好まれた坂井さんは、本番の撮影でもスタイリストやヘアメイクはなく、ほとんど私服で、ノーメイクに近かったそうです。まさに「♪白いTシャツ ブルージーンズ そして笑顔の私を 思いきり抱きしめて」(「ハイヒール脱ぎ捨てて」)そのままの世界だったのではないでしょうか。

なお、日経エンタ1999年7月号は「ふわふわしたお嬢様ふうのビジュアルイメージとはうらはらに、スタジオでの坂井は、完成度を求めてギリギリまで粘るこだわりの職人タイプ」と指摘しています。ここでは、華やかな美貌の向こう側には創作への凄まじいまでの努力があるということ(後述します)を少しだけ記憶に留めておいてください。

ZARDの魅力(4) サウンド
ZARDのサウンドの本質を、マーティ・フリードマンさん(ヘビーメタルバンド「メガデス」の元メンバー)はこう語っています。
 ZARDのサウンドを一言でいうと、ヘビーメタルとアイドル歌謡の融合で、このあり得ない組み合わせに僕はノックアウトされたんです。
 サウンドのベースはディストーションがかかったギターで、ヘビーメタルの手法で演奏されている曲が多いのですが、メロディは日本の歌謡曲の王道、声は幼くて甘くてシャイでかわいくて、ものすごくいやされるし、歌詞はすごく前向き。全然ヘビーメタルっぽくありません。  優しい女性ボーカルとひずんだギターサウンドの組み合わせ。そこに奇跡的な化学反応が起きていて、ものすごくおいしい音に仕上がっているから不思議です。
 なにより尊敬できるのは、聴いた瞬間にZARDだと分かるオリジナリティがあること。「ZARDっぽい」という表現で曲の感じが通じてしまいます。サウンドに統一感を持たせるということは、なかなかマネできるものではありません。これこそがZARDが長年ファンに愛され続けてきた秘密だと思います。

ZARDサウンドは流行を深追いしすぎることなく、また曲の細部に至るまで緻密な工夫が凝らされ、丹念に作り込まれているため、新鮮さを失わないと言われています。ファンなら聴き慣れた曲の中に声の表情の変化や、小さな音、楽器などによる微妙な味付けに新たに気付き、ZARDサウンドの奥深さを見出す驚きと喜びを知っているでしょう。

活動スタイル(1) テレビに出ない
坂井さんの全国ネットのテレビ歌番組出演は約半年(1992年8月7日~1993年2月5日)間に7回しかありません。

抜群の美貌をお持ちなのに、なぜテレビに出ないのでしょう?誰でも持つ疑問ですから、少し詳しく述べてみたいと思います。

オフィシャルブック「きっと忘れない」は、「坂井自身の極度の緊張やぎこちなさを考えると、ZARDの音楽世界を伝える場は、テレビなどのメディアではないと判断され」たためとしています。

2000年3月26日のファンクラブ・イベント(ZARD.com 2000)で、或るスタッフの方はこう発言されました。
 泉水さんは大変アガリ性で、極度の緊張でリハの時声が出なくなったりした為に「負けないで」以降TVに出なくなったのですが、出なくていいのかとすったもんだしているうちにZARD=TVに出ない、ミステリアスという関係が出来上がってしまい、「何だ、出なくてもいいんじゃないか」と開き直って今の活動スタイルになっているみたいです。

坂井さんご自身はどうだったのでしょう?上記とは微妙に異なった発言をされています。
 テレビ出演  
●92年のZARDを振り返って。
 去年は前半が長くて、後半が速かったですね。レコーディングはいつものペースだったけど、後半から
音楽番組に出演したから、テンポが変わってしまったという。もともと緊張するタイプだけど、初めてTVに出るって決まったときはずっと前から緊張しっぱなしでした(笑)。音が鳴ればいつもの自分になれるっていう感じで、歌っている時はわりと大丈夫なんですけど。話をするのが苦手なんですよ。

●でもTVでZARDの存在を知った人もきっとたくさんいる事でしょう。
 えぇ、それは本当に嬉しい事だと思います。

●何回か出演してみて、少しは慣れましたか?
 最初はとりあえずどれくらいできるのか、自分で試してみるっていう感じで、自分にあまい点数をつけていたんですけど…。何回か出演してみて、慣れるどころか段々苦しくなっていったという(笑)。
短い瞬間にパッと出て、自分をアピールするのは苦手なんだなってつくづく思いました。
(PATi PATi 1993年2月号)

カメラを意識すると表情が硬くなってしまう坂井さん(きっと忘れない)。元々カメラが苦手なのでしょう。それでもまだ歌うのは良いけど、テレビで求められるような「パッと自分をアピールする」トークに対する苦手意識は強かったようです

また、「テレビ出演でテンポが変わった」と仰っていますが、これは制作ペースが乱されてしまったと暗に言われた気がします。日経エンタ1999年7月号は、テレビに出なくなった「背景にあったのは、作家活動に専念したい、作品で自分を評価して欲しいという坂井の強い意思だった」としていますが、これも大きな理由だったのでしょう。事実、坂井さんはその後制作に没頭する日々を過ごされることになります。

※日経エンタ1999年7月号へ
活動スタイル(2) タイアップ
テレビに出ないのに、なぜヒットを量産し続けることができたのでしょうか?よく言われるように、メディアに出ないことが逆に神秘性となってアピールした点もあるかもしれません。しかし、「メディアへの露出コントロールだけで何年も売り続けられるほど、音楽の世界は甘くない。・・・楽曲として高い完成度をキープし続けている点がロングセラーの大きな理由だろう。」(日経エンタ1999年7月号)。全く同感です。

私はテレビに出ないのにあれほどヒットを重ねたのは「タイアップ」抜きには考えにくいと思います。
ZARDの曲を聴けば、「ああ、この曲か」と思い当たることがあるかもしれません。ZARDはテレビに出ませんが、実はタイアップの形で曲はテレビでは流れているからです。ZARDの場合、45作のシングルのうち、(逝去後にリリースされた現時点で最後の)45作目を除きA面曲は全部タイアップがついています。B面曲やアルバム曲にまでタイアップがついていることも稀ではありません。

活動スタイル(3) 制作へのこだわり
坂井さんは制作については何事も自身で納得するまで追求される方でした。たとえどんなに手間や時間がかかろうと、様々なアレンジ、楽器の音、自らのボーカル、ミックス等のサウンド面、それに歌詞やジャケットの微妙な色調に至るまで最善を求めて何度でも試し、納得いかないものは惜しげもなくボツにしてしまいます。これは坂井さんにとっても、専門スタッフにとっても、非常に過酷な作業でしたが、このこだわりがZARD作品のクオリティの高さにつながることになりました

ZARDのレコーディングのチーフ・エンジニアの方はこう言われています。
 考えられることはすべてやっていく、それがZARDのレコーディングだね。だから、ZARDに関しては1曲に対して幾つものアレンジがあるんだ。複数のアレンジャーが手掛ける場合もあるし、アコースティックなものからハードなロック調のものから色々なアレンジを試してみて、最後に一つの曲を完成させるんだ。
(「Flash back ZARD Memories」P32)

「制作に妥協しない」とよく仰っていた坂井さんご自身の発言から、少しだけ挙げてみましょう。
 過酷なレコーディング  
もう、毎週過酷なレコーディングで(笑)。私もスタッフも妥協しないので、この曲(「運命のルーレット廻して」)は今まで一番アレンジ・テイクが多いんです。たぶんスタッフみんな、ミキサーのMACの中のデーターを見ないと、テイク違いが分からないんじゃないでしょうか。
試せる、出来る限りのことは全部やってもらっていて、普通のアーティストがアルバム1枚作るのと同じくらい手間がかかっています。皆さんに感謝しています(笑)。
(「Flash back ZARD Memories」P51)

 作品作りは”陶芸”  
絶対良い作品にしたいと思うと、時間がかかっちゃうんです。ワガママ言わせてもらってますね。作品作りはちょうど”陶芸”に近いです。作っては壊し、作っては壊し・・・時には土を寝かせて・・・微妙な味わいが出るかどうかが勝負です。
(WHATs'IN? 1999年3月号 アルバム「永遠」リリース時)

アルバム「時間の翼」発売時に、デビュー10周年を振り返り、こう述懐されています。
 修行のような日々  
いつもレコーディングをしていたな~と思いますね。スタジオが地下にあったので、オーバーに言えば、静かな山の中での修行のようでした。
(CDでーた2002年2月20日号)
まるで修行僧のようにストイックな日々・・・。私などは自らを顧みて畏敬の念すら感じてしまいます。坂井さんご本人は、こういう「変化のない毎日に対して『これでいいんだろうか』ってずっと思って」おられたそうですが、後で振り返ると「スタイルを変えず10年間やらせてもらえたのは、・・・守られていた」(「 10゜ 〜decimo〜」P90)んだなと思うと述べておられます。

「こだわり」、それがアーティストのエゴだったらスタッフはついて行きません。そこにあるのはただ「良い作品を届けたい」という一途な思いだけでしょう。そうした「こだわり」を良く理解し、協力し、守ってくれるスタッフの存在。坂井さんは折にふれてスタッフへの感謝の気持ちを口にしておられたことも付記しておかなければなりません

ZARD FOREVER!   
2006年4月、「ハートに火をつけて」のPV撮影を終えた深夜、身体の容態が急変し、癌が発見されて6月に子宮全摘手術が行われ、一旦は快方に向かっていたのですが、2007年3月、肺転移が発見され、同年5月27日、病院の階段から転落、ひとりの偉大なアーティストは永遠の眠りにつかれました。魂のこもった多くの作品を残して・・・。

逝去後の主なイベント
2007年6月 ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会
2007年9月 追悼ライブ 「What a beautiful memory」(大阪・東京、3公演)
2007年12月 NHK紅白出場(NHK大阪ホールで開催されたコンサートの一部が生中継された)
2008年 「What a beautiful memory 2008」(全国13会場、15公演)
2008~2009年 「ZARD/坂井泉水展」(全国8会場)
2009年 「What a beautiful memory 2009」(大阪・東京、3公演)
2010年 「ZARD Screen Harmony」(フィルムコンサート)
2011年 「ZARD 20th YEAR展 ~History of IZUMI SAKAI~」
2011年 「What a beautiful memory forever you」(東京・大阪)


時代を励まし、時代を超えて
「希望の歌を歌いたい」。(坂井さんは)不安に覆われた90年代の日本を励まし続けました。阪神淡路大震災ではラジオを通して流れた坂井さんの歌が人々の心を癒しました。音楽の教科書にも登場。坂井さんの歌は時代を超えて歌い継がれるようになったのです。・・・

2007年6月18日「NHKクローズアップ現代」
「時代を励ました歌」~ZARD 坂井泉水さんが遺したもの~より


時代が必要とした「本当の歌」
90年代はバブルがはじけ、終身雇用制度が崩れ、就職氷河期を迎えた時代であり、湾岸戦争の勃発、ソビエト連邦の崩壊、東西ドイツの統一なども起きて、これまでの秩序、価値観が崩壊した時代でした。そんな先が見えない、生きにくい時代には一緒に走ってくれて「頑張って!」とエールを送ってくれるマラソンの“伴走者”のような存在が必要とされました。それがZARDの歌であり、坂井泉水でした。

ZARDの歌は頑張る人たちにエールを贈り、元気と勇気を与えると共に、“心のケア”として“癒し”効果をも同時に与え、坂井泉水は“人生の伴走者”、その歌はまさに“人生応援歌”となったのです。

岡林信康、吉田拓郎、尾崎豊、ZARD、彼らの歌は紛れもなく“時代が必要とした歌”だったのです。時代が必要としたときに初めて“本当の歌”は生まれるのです。

音楽評論家 富澤一誠氏のサイトより(要旨)
富澤氏のサイト(1) (2)


人々を励まし続け、そして人生を音楽に捧げた・・・
 「負けないで」に励まされた人は多い。94年にセンバツ高校野球の入場行進曲に選ばれ、「24時間テレビ 愛は地球を救う」の24時間マラソンの応援でも大合唱される。等身大の歌は、今も多くの人を励まし続けている。

 五輪マラソンのメダリスト、有森裕子さんは「ランナーは過酷な状況の下、自分と向き合う中でいろいろな思いを持ちながら走っている。そういう中でこの曲はランナーの励みになってきたし、これからも励まし続けてくれるだろう」と話す。

 富澤(一誠)さんも「マラソンに伴走者がいるように、彼女は生き方が鮮明に見えない時代の『人生の伴走者』だった」と指摘する。彼女自身も「普通の人の傍らにある、喜びや悲しみを自分らしい言葉で、そして音楽を通して表現していきたい」という言葉を残している。

 ヒットが出て有名になった後でも1人で電車に乗ってスタジオに通い、スタジオの植木の草を抜いたり、電話取りも自然にした彼女。ブランドものをあさったり、夜遊びをするでもなかった。7万~8万円のコートを買うのに散々迷った一方で、家族のために家を買う家族思いの女性だった。

大阪のスタジオに行くため新幹線に乗っていたある日、「ZARDの坂井さんですよね?」と声を掛けられ、「あっ、よくそう言われるんです」と言って逃げてきた。そのことを、実はうれしそうに話したという。映像担当として初期から知る高野昭彦さんは「そういうところ、可愛いんです」と笑った。

 日常生活では穏やかだったが、曲作りには厳しくスタッフとも意見をぶつけ合った。イメージ通りのものができあがるまで妥協せず、納得がいくまで努力を続けた。長年曲作りにかかわってきた渡部良さんは「本当に歌うこと、作ることが好きだった。歌を作るべくして生まれてきた。彼女が音楽制作に人生をささげたのは事実」と話す。

 亡くなった後、自宅からは300枚を超える歌詞のメモ書きが見つかった。映画が好きで、DVDを借りてきては作詞の参考にした。人の気持ちをおもんぱかり、多くの人を勇気付ける言葉を探し続けたという。

 バブル崩壊後の「失われた10年」に人々を支えた彼女。格差が広がり、希望が見えにくくなる今の日本で、これからもたくさんの人にエールを送り続けてくれるだろう。

2007年12月18日 毎日新聞東京版より(抜粋)
(この欄の囲みのタイトルは筆者が加えたもので、オリジナルにはありません。)

最後までお読みいただき、大変ありがとうございます。

基本的な事実に加え、人間「坂井泉水」の魅力をもご紹介するように努めました。ZARD/坂井泉水さんの魅力を少しでも感じていただけたらと願っています。

しかし、お伝えできたのは坂井さんの魅力のほんの一部に過ぎません。たとえば、(冒頭で少しだけ触れましたが、)時にはオヤジギャグを飛ばしたりするお茶目なキャラクターや、闘病中知り合った母ひとり子ひとりの女性末期ガン患者の病室に行き「負けないで」を歌ってあげたという感動的なエピソードなど、「人間的な」側面をもっとご紹介したかったのですが、長くなり過ぎるのでので割愛せざるをえませんでした。また、極力エビデンスに基づくよう努めましたが、その選択や評価に主観が入るのは避けがたいことで、別の見方があり得ることはご了解ください。

言うまでもなくZARDワールドのエッセンスは楽曲、作品にあります。それはやはり聴いていただくほかはありません。
是非ZARDを聴いてください。そしてZARDワールドの素晴らしさを味わっていただく方が一人でも増えれば、それに過ぎる喜びはありません。

2010年4月20日
moon
事実に関する誤りがあればお知らせください。

2011年10月 DVD、写真集の一部記載を追記。日経エンタ1999年7月号へのリンクを追加。

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