|
|
![]() 幕末激しい戦乱の舞台となった会津若松には 沢山の史跡が残されています。 観光地化され、喧騒の中ただひたすら黙ってそこにありつづける歴史の名残り。 そんな喧騒から置き去りにされたようにひっそり静かにたたずむ歴史の傍観者。 過ぎ去った時の香りを感じるような気がしませんか? |
![]() |
||
| BGM: 荒城の月 愛しき日々 文字サイズ 小 推奨 |
back | ||
|
|
女ながらに勇ましく戦い抜いた娘子隊長中野竹子戦死の地 |
|
|
足手まといになるまいと家老一族の婦女子が自決した悲劇の場所 |
|
|
白虎隊が出陣した本陣。当時の建物が残っている |
|
|
白虎隊が西軍と死闘をくりひろげた古戦場 |
|
|
自刃した白虎隊が最初に埋葬された。又、藩主・松平容保謹慎の寺 |
|
|
日本初女子留学生山川捨松ら会津の秀才兄弟姉妹が生まれた地 |
|
|
放置されていた会津藩士の遺体が埋葬された寺。激戦地でもあった |
| 如来堂 | 落城寸前の会津を見捨てなかった新撰組斉藤一らが本陣をしいた場所 西軍に攻撃された |
| 河井継之助 | 戊辰最大の戦闘長岡戦争を指揮し会津へ向かう途中で死去した長岡藩家老 |
|
|
自刃した白虎隊士の名前・年令と生前のエピソード |
|
|
家老西郷頼母の一族婦女子が自刃する際に詠んだ辞世 |
|
|
藩の責任を一身に背負って切腹した家老萱野権兵衛の息子の悲劇 |
| 会津藩 家訓 | 保科正之が制定した会津武士道のもととなった家訓 |
| 忠孝両全 | 会津白虎隊精神の基礎・・・飯盛山で頂いた物です |
|
|
会津を治めた歴代の殿様の中でも名君の呼び声が高い武将。妻は織田信長の娘。 |
| 蒲生秀行の墓 | 蒲生氏郷の息子 妻は徳川家康の娘。母は織田信長の娘。 |
| 神指城跡 | 関ヶ原で破れるまで会津領主だった上杉景勝が築城。 |
|
会津人の悲願がかない再建された |
白虎隊自刃の地 飯盛山 忠義の少年たちが力尽きた地 遠く鶴ヶ城が望める |
滝沢本陣 白虎隊出陣の地 当時の姿のまま弾痕等が残る |
||
![]() ●天寧寺町土塁 内郭外郭を分けた土塁。現存しているのは少なく貴重。説明 ●甲賀町口門跡 鶴ヶ城大手門をまっすぐ北上した所。外郭への出口。激しい戦闘があった。説明 ●西軍墓地 薩摩藩 西軍戦死者墓地。薩摩藩の塔がかなり大きい。説明 会津藩子弟を育んだ什の教えを根幹に作成された。最近町のあちこちでみかける。 ●はいからさん 街中を周遊するハイカラな可愛いバス。緑と赤がある。公式HP運行状況 ●北出丸大通り 鶴ヶ城大手門へまっすぐ続く大通り。道路の真ん中からは鶴ヶ城天守閣が見られる。戊辰の際の降伏式はここで行われた。 ●会津降伏式 泣血氈の誓い。この無念を忘れぬ為に降伏式場の緋毛氈を小さく切り取って分け合った。 ●井上丘隅邸跡 白虎隊ドラマでは森繁久弥さんが熱演。一方通行の標識がある角一帯。まっすぐ行くと甲賀町口門跡。 ●神保内蔵助邸跡 神保さんちは現在市立図書館のあたりです。春には桜がとても美しいところです。 ●清水屋旅館跡 七日町通りにあり、新撰組土方歳三などが投宿していた宿。現在は某銀行です。説明 ●柴兄弟生誕の地 斗南での苦しい生活を著した「ある明治人の記録」の柴五朗兄弟家跡。城前つばくろ公園内。説明 ●山本覚馬八重子生誕の地 会津藩砲術家山本兄妹生誕の地。現在は郷土史家の方のお宅で色々な本を出しておられます。米代。 ●白露庭 鶴ヶ城追手口のすぐ目の前にある家老内藤介右衛門邸跡。当時の面影をとどめている。現在は裁判所。 ●石塚観音堂 徳川家康の娘振姫が信仰していた観音堂。戊辰の役ではここで自刃した祖母と孫の切ない話などがある。西若松駅前。 ●小田山砲台跡 戊辰の役のおりに西軍が砲台をすえ、鶴ヶ城を攻撃した場所。手前の山の中腹、木のない場所。小田山。 ●鶴ヶ城三の丸堀跡 堀のあった形にさつきの花が植えられている。県立博物館東側。説明 ●佐川官兵衛顕彰碑 「鬼官兵衛」と恐れられた会津武士。西南戦争で戦死した地のゆかりの石を譲り受け建立された顕彰碑。鶴ヶ城東側。 |
||||
ばんげや 国道118号を芦ノ牧方面へ。上三寄地区。チャーシュー麺、ねぎラーメンが◎。こんな感じ アスター 千石バイパス沿い。一箕町ヨークベニマル南側。めちゃおいしい時とそうでもない時があったりする・・。 蔵々亭 喜多方国道121号沿い。消防署を過ぎて道幅が少し狭くなったらすぐ右側。最近秋葉原にも出店!? |
||||
|
1997年会津藩公行列 2001年会津藩公行列 2003年会津藩公行列 毎年会津秋まつりで行われる、歴代藩主や会津ゆかりの人物に扮して 会津若松を練り歩く勇壮華麗な藩公行列です。 |
|
|||||||