2004/11/09(Tue)
蒲生氏郷まつり
11月にしては暖かい休日、蒲生氏郷まつりが開催されていました。
偶然通りかかったので、早速車を降りてみました。



まず蒲生氏郷廟に行くとお茶会?らしきものが行われており、着物姿の女性がちらほらと・・。後ろからこっそり写真だけ撮らせてもらいました。



蒲生氏郷廟周辺には出店が並んでおり、ちょっとしたお祭り気分。
子供とたこ焼きやらチョコバナナやらを買ってはパクパク。
ぐるっと一周して、お祭り気分を満喫してかえりました。


出店のそばでちょっとお疲れ気味?のくまさん発見。

*写真はクリックすると大きくなります。
2004/04/12(Mon)
咲いたね!さくら
やっと会津若松も桜の季節になりました。
土日、チラッと咲き始めたら、今日一気に咲いてきました。
お城の桜はまだもうちょっとってところだったけれど、私お気に入りの博物館と図書館の桜は八分咲きから満開という感じまで、きれ〜〜いに咲きそろいました。

仕事中も桜を見たくてイライラしてたので、早めに切り上げてお城周りを見てきました。さすがに人も車も多く混雑していて、駐車場を見つけるのも一苦労でした。
でも盛大に咲いている桜の花を目にすると嬉しくなっちゃいます。

この博物館と図書館の間に咲いている桜は、コヒガン桜と言って信州の高遠より来た桜です。
徳川二代将軍秀忠の庶子であった保科正之公は、高遠藩保科氏の養子となり、後に会津藩主となり、名君の呼び声高き殿様でした。
その保科正之公ゆかりの地、信州高遠よりはるばるやってきた桜なんだそうです。

高遠城のコヒガン桜は長野県の天然記念物として指定されており、エドヒガン桜とマメ桜の中間種だそうです。
少し赤みを帯びていて、心が安らぐきれいな花の色をしていて本当に美しい桜です。

会津の桜をおすそわけします。全て鶴ヶ城三の丸跡の桜です。







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2004/02/17(Tue)
会津若松を目指した河井さん
去年の話になってしまうけれど、河井継之助記念館へ行った時に、河井継之助が長岡で敗れ負傷しながら会津へ向かった時の道を記した地図を購入した。
八里が八十里にも感じると言われるほどの険しい峠道を、傷ついた体でどんな思いで越えてきたのかと思う。残された歌を見ると、もしかして勝てない戦だとわかっていたのかななんて考えてしまう。


河井継之助は再起をかけて、会津若松を目指していたわけだけど、その症状があまりよくなかった為か、会津藩主松平容保公は幕府医師松本良順を派遣して気遣ったそう。
しかしその甲斐なく、会津塩沢の地で息をひきとってしまうんですね。
でも、その終焉の地も、現在はダムの底。
亡くなった家(部屋)は、記念館に移築され保存されています。すごいね。



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八十里越えした方のサイト
http://www.asahi-net.or.jp/~VD8A-MKM/guide/hachi/hachi.htm
すごいです。



2003/11/16(Sun)
おさんぽ日記

日頃、会津若松をウロウロしている私が、会津に関して感じたことや心にとまった事があったらちょこっと書いてみようかな、、、という日記です。
さすがに出社する通勤途中はないけれど、帰宅中に横道に逸れることは日常茶飯事。家で待つ子供も諦めていることでしょう・・。

最近、いくつか会津若松の古地図を手に入れた。
現在の会津若松の道というのは、かなり昔のまま残っているらしく、古地図と重ね合わせてみると、なるほどそのとおりである。
もちろん新しい道も沢山できているけれども・・。

会津の色々な出来事を合わせて見てみると、意外な発見があって面白い。誰それがこの道を通ってどこそこへ出かけた、なんてことがわかると、ワクワクするのは私だけじゃない・・・よね。
私個人としては、七日町通りなんかとっても想像(妄想?)をかき立てます!

  七日町通り

最近知ったんだけど会津の人たちは、市内の東側へ行く時は「あがる」、西へ行く時は「くだる」と言うんだとか。
「●●通りをあがんだ〜」って言われると、私なんかは「どっち?」って、毎回聞いちゃう。
もう会津にも10年以上住んでいるんだから、そろそろ覚えないと・・・。(笑)

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切って出し日記 Ver2.2 CGI-PLANT